スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

色とりどりの“縁”

こんにちは、ゼミ長の仲居です。
文才溢れる副ゼミ長・水野くんからプレッシャーたっぷりなアンカーバトンを渡されたような気がしてなりませんが(笑)、とりあえず、私は私らしくいこうと思います。
きっと、いや、確実に長くなりますが、しばしお付き合いください。

「大学生活を振り返って」という最後のテーマで最後の更新担当。何について書けばいいのか、どんなふうにまとめればいいのか、最後の締め方どうしようetc... 最後のゼミからここ2か月ほどずっと考えていたのですが、結局まとまらず。
そんな中、目に留まったのは引っ越しの時に出てきた4年分の手帳たち。
私だけかもしれないですけど、手帳って読み返すとすごく面白くて、当時の感覚まで蘇ってくるような感じがするんです。
原点に戻るのときっかけ探しを兼ねて、その手帳たちをぱらぱらとめくってみることにしました。

大半を占めていたのはグリーンで書かれた予定。
これはいくつか掛け持ちしていたアルバイトに関するもの。
仕事を始めて数か月で泊りがけの研修に1人で行かされたり、新人研修を手伝ったり、その他いろいろ経験させてもらった塾でのアルバイト。海岸沿いにある大きなテレビ局で、真夏の早朝から夜までチケット販売で声を張ったイベントバイト。他にも試験監督やインターネットカフェなど、結構な時間をアルバイトに充てていたようです。
思い返してみれば、1年の英語クラスの友人には「さすがにバイトしすぎだよ!」とかるくキレられ、親からは「学生はアルバイトがメインじゃないんだからね!」としょっちゅう怒られ、バイトの先輩からも「いいから仲居くんはちゃんと学校に行きなさい!」とよく言われていたような気がします。
正直なところ、こうやって振り返ってみるまでそれほど多くの時間を使っていたという自覚はありませんでした。
塾で小中高生と学校や将来の夢の話をする時間、アルバイト先の先輩方とご飯に行く時間、イベントに来る様々な地方や国の人たちと窓越しでコミュニケーションする時間、大歓声のステージの裏側を垣間見る時間。数分間から数年間まで、かかわる時間や深さに差はあったけれど、どれも少なからずわくわくする時間でした。
もちろんアルバイトなので仕事をすることが第一なわけですが、私にとってはそれよりもたくさんの人と出会う楽しさのほうが大きかったように思います。それほど楽しい時間と同化しているからこそ、アルバイトばかりしていたという感覚が今でもわかないのかもしれません。

次に多かったのは、オレンジの予定。
これは大学に関わること。ただし、授業以外。
まだ存在すらしていなかった和太鼓サークルの立ち上げに関わって奮闘していた1年生の頃。結局立ち上げを見届けたあたりで私はやめてしまったけれど、それでも去年、招待してもらったアカデミーコモンでの公演の時はこれほどすごい団体になったんだと思い、とても感慨深かったです。
2年生の夏からは文プロ(現MSP)の制作班に入ってほとんど国日生のいない中で走り回っていました。これまでになかった予約方式を提案したおかげでほとんど徹夜状態、公演期間は毎朝レッドブルで乾杯なんてクレイジーな日々を過ごし、最後にはいろいろあって結構な大騒ぎをして「二度とやるものか」と思ったけど、結局こことはなんやかんやで2年間(翻訳いれたらもう少し長いかな?)お付き合いがありました。
本格的にゼミが始まった3年生。第一回ゼミ長会議でゼミナール協議会の立ち上げにかかわり、そのままイベント企画、次期委員採用まで初代執行委員というたいそうな肩書を背負っていました。最後だしここだから書きますけど、ゼミ協委員になった理由は他のメンバーほど熱い気持ちがあったわけではなくて、自分のゼミが関わる団体ならたとえちょっとした規約の一文であってもせっかく関われる状況なのに自分が知らないところで決まっていくのはいやだなーこわいなーというなんとも自分勝手な理由が根本です(これはゼミ協メンバーにも言ってない気がするぞ?大丈夫かな?笑)。だから枠組み作るのに立候補したらそのまま委員になっていましたというのが正しい流れ。ただそのおかげで、それまで他学部≧国日生だった私の大学での変に偏った友人関係が他学部<国日生になったのは嬉しい誤算でした。それまでの私、いったい何学部だったのと言いたいくらいです。
4年生の時はほとんどのオレンジが卒論関係でした。国会図書館の開館時間やら文献のメモやら、メモ魔な私は何でもかんでも書くのでそれはもういろんなところにオレンジオレンジ。「大河内さん!」という謎なメモまでありました。きっと疲れていたんだと思います。DVDの見すぎです。

こうやって書くと、けっこう大学にいたみたいですね、私。正直こっちもあんまり自覚していなかったです。
たぶん、昔から目の前にあるものに集中するとほかに目がいかないタイプだったので、何かがひとつ終わるたびに新しく現れるモノに興味を移しているうちにあっという間に4年間がたってしまったと言ったほうが正しいのかもしれません。
でも決して、ひとつひとつをすっかり忘れてしまっているというわけでもありません。
やりきったことも中途半端になってしまったことも、大変だったことも楽しかったことも、それぞれその時の自分の精一杯が出した結果だからこそ、なにかしらの納得ができる形として先に進めているんだと私は思っています。そこで得られたものはきっと、わざわざ思い出そうとしなくても自分の中に残っているものなのではないかなぁ、なんて。

その得られたものの中で、唯一手帳からも読み取れるもの。
それが友達との楽しい予定の数々です。
飲み会もランチも、映画もショッピングも、ディズニーランドも旅行も、どこに行こうが誰と行こうが他の誰かとの予定は全部ピンクのインクなのですが、他の色に比べて、この色だけは毎年着実に増えていました。また、その数だけではなく、一緒に書いてあるメンバーが年々バラエティー豊かになっていくのもとても印象的です。高校や中学の友達が多かった頃から始まり、英語クラスの友達、アルバイトの宿泊研修で知り合った仲間、アルバイト先の先輩方や社員さん、文プロプロデュースィングチームのみんな、アルバイト先の同期と後輩、ゼミ協執行部のみんな、先輩に連れて行ってもらったバーの常連のみなさん。基本的に飲み会は断らない子なので挙げるとキリがないですが、そんな中でも群を抜いて多かったのが、この宮本ゼミ1期生のみんなの名前でした。
後半2年間(そもそも授業は週1回)しか一緒にいなかったなんて信じられないくらい、それはもう結構な頻度で私はゼミ生のみんなに会っていたようです。

様々なアルバイトをして、いろいろな団体に所属してきた4年間。
それぞれに楽しい時間や嬉しい出来事があって、ひとつひとつが大切な思い出ですが、その中でも、たくさんの人から「宮本ゼミは本当に仲が良いよね」と言われることが、私のこの大学生活の中で一番しあわせな瞬間でした。これ、大袈裟じゃないですからね?言ってくれればもれなく私しあわせになりますv
驚かれたり羨ましがられたり、たまーにちょっと気持ち悪がられたり(笑)と反応はさまざまですが、それでも「そこまで仲が良いのはすごいね」と言われるたびに、もっともっとゼミのことを話したくなるくらい、この宮本ゼミにいること、宮本先生とこのメンバーで学生生活最後の2年間を過ごせたことは私の自慢です。

もともとさまざまな色が混ざっていた私の大学生活が、さらに個性的で楽しく、そしてなにより暖かくまとまったのは、どんな色でも殺すことなく受け止めてくれる宮本先生とゼミ生のみんなに出会えたからだと思います。
ゼミ長としての役割が果たせていたかどうかはいまだに謎ですが、震災も卒論も乗り越えて今ここにいられることが私はとてもしあわせです。
これから先の手帳にも、みんなの名前がたくさんたくさん書いてあるといいなぁ。

4年間のたくさんの出会いとすごした時間、
そして、宮本ゼミにかかわったすべてのみなさんにありったけの感謝をこめて。

ありがとうございました!
スポンサーサイト

カントリー・ロード

 三ヶ月のアルバイト試用期間ののち、正社員登用──予定ではそういうことになっているから、二月の頭からこっち、卒業旅行で海外を転々とする華々しいご学友がたを横目に、勤労に精を出している。ある日のポストの中に突っ込まれていた、実家から転送されてきた卒業式の案内を手にして、久々に自分がまだ学生であるという現実を認識した。
 ゲームセンターのUFOキャッチャーで釣り上げた壁掛け時計の針が七時を過ぎたころ、けたたましいアラーム音が六畳よりもほんの少し狭い部屋に鳴り響いて目が覚める。遅刻警報の発信源は、機種変更によって本来の役目を終えたにも関わらずおよそ四年半に亘って連れ添った愛着から目覚まし時計として余生を送ることを持ち主に認められた先代の携帯電話である。屈指の名機と呼ばれて久しいこの機種には、てのひらサイズの箱の中に住む電子の妖精が「七時、十分、です」とご丁寧に現在時刻を読み上げてから、耳慣れたやかましい音を鳴らしてくれる機能がある。彼女のお陰で「早く起きないと遅刻するよ」という台詞を弁当箱に詰め込んで迎えに来る幼馴染などこの四年半の間、そしてこれからも、私には無用の長物であった。
 シャワーを浴び、着替え、コンタクトレンズを装着し、ワックスで整髪し、週に二、三度は髭を剃り、荷物を鞄に詰め込んで、家を出、近所の神社で氏神さまに挨拶をして、駅に着き、電車に乗る。車内ではなるべく読書をするよう心がける。アニメが一話見られる程度の時間は揺られたのち、乗り換え、CMをカットしたアニメが一話見られる程度の時間は揺られたのち、乗り換え、以下略、乗り換え、略、乗り換え、……さすがにそんなには乗り換えない。会社への最寄り駅ではないが徒歩圏内である駅で降り、出社する。
 昼食にありつけるのはだいたいおやつの時間ごろである。不満はない。会社から少し行ったところにある飯屋はご飯に加え納豆までもがおかわり自由──ある人が称して曰く「永久機関」、と。言い得て妙──で、腹十一分目ぐらいは平気でいってしまう。食べる時間が時間だけに、お陰さまで朝と昼をきっちり摂って晩を抜くという極めて健康的な生活を送っている。
 退社時刻は日に日に遅くなりつつある。終電との睨み合いになるのも遠い未来ではあるまい。幼い頃から平日は布団に入る前に父が家にいるところを見たことがなかったから、働くことはそういうことだという刷り込みがある。社畜乙、と笑わば笑え。帰路につくと、朝と同じように読書に耽りながら電車に揺られて、やがてベッドタウンに辿り着く。この街には都内有数の大河が流れている。天気がいい日は、ほんの少し遠回りをして堤防の道を歩いて帰る。堤防に上ると、途端に視界が開けて、対岸の街灯が等間隔に眩しく立ち並び、一気に開けた頭上にはドーム状の夜空に星々が煌めく。あれがデネブアルタイルベガ? あるいはオリオンをなぞる? そんな歌が脳裏をよぎるが、遠く輝く星座の明るさに対して、私は星座について全く明るくない。少なくとも前者は夏の大三角であるから、私が見上げる星空には含まれていないのであろう。理科の授業を真面目に受けておけばよかったと後悔する次第である。
 振り返ると、橋を渡る京王線の車内灯が中空を流れていき、がたんごとんと遠く響く電車の足音が実に心地よい。高揚感と寂寥感がないまぜになったような得体の知れない感情が湧き上がるとともに、もう一つ、思い出される歌があった。
 
カントリー・ロード
この道ずっとゆけば
あの街に続いてる気がする
カントリー・ロード
 
 ここは聖蹟桜ヶ丘。日テレが金曜日に放送すると死人が一人二人では済まされないことで有名な、言わずと知れた名画「耳をすませば」の舞台である。
 
 
 我らが母校、天下に冠たる明治大学、されど白雲なびかぬ和泉校舎にほど近い二つの町で、私は四年の月日を過ごした。
 最初の二年は、〈明大前〉エリア。和泉校舎へは徒歩にして十分ほどの、遠く神奈川や埼玉から通う実家生からは喉から手が出るほど羨ましい立地であった。特に一年のうちは一限の授業も多く、毎朝早起きして遠くからやってくるクラスメイトを尻目に朝八時過ぎまでたっぷり寝させてもらったものである。部屋の広さは21平米ほどであっただろうか。六畳の部屋に広めの収納、狭いキッチンにユニットバス。虫がたまに出る、築20年ほどの木造住宅。極めて平凡な仕様であろう。自活に慣れるには程良い環境であった。
 続く二年は、〈笹塚〉エリア。明大前駅からは二駅の距離だが、徒歩三十分は徒歩圏内と豪語する──別に一時間でも構わない──私にとって、さしたる問題ではなかった。実際の所要時間は二十分ほどで、大抵の人は素直に歩ける距離であろう。三年ともなれば、一限の授業などそもそも時間割に存在していなかった。かなりいい部屋であった。28平米、広い居間に広いキッチン、バストイレ別、ベランダには屋根が突き出て雨が降っても洗濯物を仕舞いもしない。虫は少し出た。利用可能路線は京王線に都営新宿、京王井の頭線、少し距離はあるが東京メトロ千代田線、ほとんど使わなかった小田急線と、交通超至便。これだけ揃って家賃は前の部屋から僅か千円だけ上がったに過ぎないのだから、正直に言おう、手放すのは確かに勿体無かった。
 さて、この二つの部屋で過ごしたそれぞれの二年間は全くもってリンクしない。大学一、二年といえば、彼女はいるわサークルはあるわ授業は忙しいわバイトも忙しいわで、最高に大学生を満喫した果てに自壊した時期と正しく一致する。一方で大学三年以降といえば、彼女はおらんわサークルはやめるわ授業は暇だわバイトはそこそこ忙しいわで、共通項といえば大学に通っていることとバイトを続けていることぐらいしかなかった。
 とはいえ、笹塚エリアでの生活が頽廃しきったものであったかと言えば、全くそんなことはなかった。バイクに乗るようになったり、同人活動を始めたりなどして、おおよそ最初の二年間で満たしていた世間一般の大学生像からはずれようとも、よほど自分の身の丈に合って充足した日々を送ることができた。語学のクラスに馴染めず、サークルも失った私にとって、もはや大学には居場所がなく大人しく便所で飯でも啄もうかと思われた時期もあったが、三年から所属した宮本大人ゼミナールが当初の予想を大きく裏切り、実に居心地のよい場所となった。その辺りの述懐はいまさら私が書き連ねるまでもあるまい。
 ご多分に漏れず、私も独り地獄の業火に飛び込む就活生であった。人生の岐路においては大抵いいように事が運ぶことに定評がある私の豪運は、震災に見舞われて非常に苦しい展開となった2012卒就活戦線においてもいかんなく発揮され、三月末の内々定という結果を呼び込んだ。地元の中小企業であった。仮にN社としておこう。良い会社であった。社長を始め社員の人柄がとても感じよく、様々な経験を積ませて頂いた。そのうえ、諸事情あって地元には笹塚の部屋さえ遥かに凌ぐ良好な住環境があり、生活するには申し分なかった。だから本当に、それでいい、そこがいい、そう思っていた。
 結論を言えば、私はN社の内定を辞退した。もう数カ月後に入社を控えた、一月の半ばであった。先方にとっては青天の霹靂であったに相違ない。既に2013卒の就活生が動き始めた十二月の半ばから、就職活動を再開していた。おおよそ正気の沙汰ではなかった。退路は断たれた。
 私は人生の岐路においては大抵いいように事が運ぶ豪運があるが、豪運を呼び込むためにはまず岐路をブン投げて逼迫した状況に自らを陥れる必要があるという厄介なジンクスを抱えていた。だから私は中学三年生の十一月になって私立中学のエスカレーターを下りて外部の公立高校を受験するなどと言い出したり、高校三年生の十月になって志望校を国公立理系から私大文系に切り替えたりしてきた。小学六年生の初頭に中学受験を決意したのはよほどマシな方である。
 ほどなくして〈転職〉先は見つかった。退路を断ってから一週間も経たぬうちの出来事であった。ここらへんが、豪運たる所以であろう。
 
 
 かくて、〈我が人生〉という名の舞台の東京公演は、今年度始めに掲示されたスケジュールどおりの千秋楽をまだ迎えていないどころか、大好評ロングラン上演が決まってしまった。そうとなれば契約や家賃の都合から、惜しいながらも笹塚の部屋からは離れなければならず、熟慮の末に選ばれた次なる安住の地が、聖蹟桜ヶ丘であった。
 聖蹟桜ヶ丘を住まいに選んだ理由は私が無類の「耳をすませば」ファンであることを始めとして様々にあるが、例をひとつだけ挙げるとすれば、多摩川沿いに立地しているということがある。高校を卒業するまで過ごした実家は、小規模な河川の堤防沿いにあった。休日にはサイクリングロードが整備されているその築堤を上流まで自転車で度々遡ったものである。私は地元での暮らしより東京での生活を遥かに好みこそすれ、それでも故郷の原風景は、和泉校舎の裏手に走りやがて駿河台に流れ着く神田川に沿って歩く時など折りに触れて思い出された。川の規模こそ比べれば違いすぎるが、それでも多摩川の堤防から眺める景色がもつ雰囲気は、故郷の川のそれとよく似ている。
 二年ごとに断絶された私の四年間を貫く存在をひとつ思い出した。携帯電話の形をした、目覚まし時計である。それは大学生活どころか、故郷にいたころの高校時代さえも串刺しにしてぶら下げていた。携帯電話としての役割の面影を残すデータフォルダを遡ると、なんと高校の卒業式に撮影した写真が存在している。画面の中には、学ランに身を包んだ四年前の自分自身が同じ学び舎で過ごした学友と肩を組んで収まっている。流石に老けたように思う。
 高校の卒業が人生におけるひとつの転機であったことは疑いようがない。高校に入学した時から、大学進学の暁には上京することを心に決めていた。青雲の志をもって住み慣れた故郷を、親元を離れ、東京での自由気ままな学生生活をこの四年間謳歌させてもらった。
 
──東京でモラトリアムを満喫したので、地元に戻って親の資産をありがたく頂戴します。
 
 モラトリアムとは非常に耳障りのいい言葉で、自分自身が置かれた身分をそのように称したことが今まで幾度あったことか知れない。しかしこの東京で過ごした四年間を振り仰ぎ、それをモラトリアムという乱雑な言葉にまとめて吐き捨ててしまうことは、四年の歳月を残酷なほど矮小化して、自分自身をひどく惨めに卑しめてしまうような気がした。
 忘れてしまいたい記憶がある。忘れてしまった記憶がある。忘れたくない記憶がある。忘れられない記憶がある。
 挫折を知った。達成を知った。弱さを知った。強さを知った。
 ひとりでは生きられないことを知った。

カントリー・ロード
明日はいつもの僕さ

帰りたい
帰れない
さよなら カントリー・ロード
 
 この街で生きている。これからも、生きていく。




 ということで、副ゼミ長・水野のゼミブログ卒業編、ここまで飛ばさずに読まれた方はどうもお疲れ様でした。
 私小説仕立てでやってみましたが、いざ出来上がってみると、どうでしょう。実に気持ち悪いですね。
 この話はノンフィクションでありフィクションです。一体どこが境目なのか、探してみても時間の無駄です。もっと有意義に時間を使ってください。
 先の記事を書いてくれたゼミのみんなを貶めるつもりは毛頭ありませんが、しかしそろそろ読者の皆さんも展開に飽きてきた頃だと思いましたので、ここらで一丁雰囲気を変えてみるかと発奮した結果がこれでありました。このあとに書く人もう一人しかいないんですけどね。
 というわけで、副ゼミ長は前座も前座。明日はいよいよ真打・ゼミ長の登場をもって、国際日本学部宮本大人ゼミナール第一期生ゼミブログ「みやもーど」は有終の美を飾ります。乞うご期待。

案外熱中したもの

こんばんは。今日、というか昨日の担当の須賀です。

今日、内定先の研修に行ってきました。研修のワークで「今のあなたの精神状態は?絶好調・まあまあ・普通・いまいち・不調のうちどれ?」みたいなことを聞かれました。

今の私は「いまいち」と「不調」の間でしょうか。

自分はどんな事を大学生活でしてきたかって考えると、留学とスキー部かなって思います。特に今年は、最後の年ってこともあり、かなりスキーの活動に力を入れました。

私の性格として、一つの物事に集中できず、コロコロと興味が移ってしまうとことがあります。部活も、中学ではバドミントン、高校では吹奏楽、そして大学ではスキー、と色々なものに手を出してきました。「音符はもう飽きた、大学では全く違うことをしよう」って考えて入ったスキー部です。

しかしながら入ってみたら、これが色々と面倒でした。オフシーズンからトレーニングはあるし、何だかんだ休日は潰れるし、何よりお金はかかるし。「何でスキーなんか選んでしまったんだろ」って何度考えたことか。

それでも今年感じたのは、何だかんだいっても合宿行かなきゃと思うし、ゲレンデに出たいと思うし、スキー部の活動に充実感を感じてたってことです。合宿中でいつもお世話になっている宿は「ドムハウス」って言って、私達は「ドム」と呼んでいます。二月の中旬に東京に三日間帰った時、私はホームシックならぬ「ドムシック」に陥りました。ホームシックは留学中にもかからなかったのに。ちなみに今もドムシック中です。

これは今までの私からするとびっくりです。新しいもの好きな私なら、スキーなんて終わってせいせい。社会人になったら何をしようかとウキウキしてるはずなんで。でも、大学でそれだけ熱中出来るもの、離れがたいものに出会えたのは、本当に幸せなことだと思います。

ブログ最後なのにしんみりした内容ですみません。来週の卒業式にはテンションも回復してることでしょう。
ゼミのみんな、卒業式で会いましょう。

大学生活を振り返って

おはようございます。土田です。
まずは、個人的な理由で更新が遅れてしまい申し訳ありません。

金髪のオシャレヘアーに上下黒のスウェット、金のネックレスにキティちゃんのサンダル。いかにも田舎のワルといったこの男は、浪人時代の私でした。「ケンカが強く、勉強もできて、女にモテる。」これが当時のモットーでしたね。そんな私ですが、大学入試の前日に彼女に振られるというハプニングを乗り越えて、念願の明治大学に入学することができました。

私はもともとプライドが高く、入学当初は二浪していたこともあり同じ学年とはいえ年下からタメ口を使われるのをひどく嫌いました。百歩譲ってタメ口を許しても命令口調で喋られたときにはワルの私が顔を出し、威嚇しました。1年次は自分のプライドとの戦いだったと思います。しばらくすると考え方も変わってきました。年齢は違えども同じ学年で学ぶ仲間ですし、そこには上も下もないですよね。今となってはみんな大切な友達です。そして私は温厚です。

そんな私にも恋の季節がやってまいりました。2年生になったとき同じ学部の新入生に一目惚れしたのです。私は自分のあらゆるネットワークを駆使してなんとか連絡先をゲットすることができました!数回のデートを重ね、いよいよ告白しようかというタイミングで「好きな人がいるのでもう会えないです。」と言われました。その日はバイトの後輩を全員呼び出し、朝まで泣きながらお酒を飲みました。私は周囲から、女性に気が多い軽い男だと思われがちですが、意外と一途なんですよ!

3年生と4年生は就活と卒論執筆の思い出がほとんどです。そして何より震災の影響が大きかったですね。以前ブログにも書きましたが、私の家は原発から10キロ圏内にあり、家族は震災の翌日から現在まで避難生活を送っています。先日、母が住む福島市の仮設住宅を訪れた際にも、駅前では除染作業が行われ、外で遊ぶ子供の姿は少なく、ニュースを見ていても天気予報の後には必ず各地の放射線量を報道しており、被害の深刻さがうかがわれました。
2012年3月24日、私は双葉町の実家に一時帰宅することになりました。親戚や友人からは、「まだ若いのだからわざわざ放射能で汚染された危険な場所に行くべきではない。」とのご指摘を受けましたが、私は社会人になる前にどうしても現実と向き合いたかったのです。生まれ育った故郷と住み慣れた家に感謝の気持ちと少しの間の別れを告げ、これからの私の活躍を誓い、社会人としての一歩を踏み出したいと思っています。

私は大学生活を通してたくさんの人に出会い、言葉では言い表せないような数多くのものを教えていただきました。まだまだみなさまから学ばせていただくことは多いと思いますが、私も少しずつ与えられる側から与える側の人間に成長していきたいと思います!

最後になりましたが、宮本先生、ゼミのみなさん、本当にお世話になりました!
宮本ゼミ最終ブログ、次回もお楽しみに☆

卒業にあたって!


みなさんこんにちわ!
宮本ゼミ一番のユーモアとインテリジェンスを兼ね備えているたぐはるです。

…という特にそんなに爆笑を起こせないボケも言うのが最後になってしまいました。
改めまして、ラストゼミブログザムライたぐはるです。

みんなの流れを汲みまして執筆させて頂くわけですが、みんな大学生活4年間の事をきれいに書いてますねー。
しかし、文章を長く書いてしまう癖がある私にとって(すでにこの前置きの時点でなかなかの長さ)、4年間を綴るということは1Q84並みの超大作を書き上げてしまうことと等しいです。

という訳でわたしはこの宮本ゼミに絞って書いてみようかなーと思います。
私のゼミ生活は基本スタートダッシュでつまづいておりました。
まず、初っ端ゼミ試の時はインフルエンザにかかり、第二希望の人と一緒に受けました。はっきり言ってこの時の先生の印象は「怖そう、厳しそう」でしたね。私の面白ジョークに笑って頂ける訳でもなく、全く手応えのないまま試験が終わった気がします。
しかしばっちり合格を頂きまして、とても安心しました。この時も、いや今考えても入るゼミはここ以外にないと思ってましたから…
そして晴れて宮本ゼミ生になり、3年のスタートダッシュ頑張るぞ!と鼻息フガフガしてた訳ですが、今度は☆椎間板ヘルニア☆になり、5月まで学校に行けないことに。
「みんなと仲良くなって、ゼミを盛り上げてやるぜ!きゃっほーい!」なんて思ってたので、最初の2ヵ月を欠くという事はかなり痛かったです…ついでに腰も痛かった…

初めて授業に参加したのは、課外活動で仙台に行った時だったんですが、この時あまりみんなもすっかり仲良くなってる訳でもなく笑、ある意味安心しました。
もちろん仲が悪かった訳でもないし、みんな普通に過ごしてたんだけど、なんやかんや今みたいな家族のような気兼ねがなさすぎる状態に完璧なったのは、3年の最後だったんじゃないでしょうか。

だからこそ、もう一回3年の夏休みに行った関西ゼミ旅行とかもう一度行きたいですね!更に!より!楽しめそうだなー、と。

4年になってから月曜6限というへんぴな時間にも関わらず、毎週この時間が楽しみでしかたなかったです!興味のある事について考えて話して、先生やゼミ生から私の知らなかった分野について教えてもらって、私が面白い事言って、みんなが笑って、たまに無視されたりして、そんなHRのような幸せな時間でした。

ゼミの内容面ではやはり2つの大きなレポートが私にとって大きな出来事でした。
一つ目は3年前期に出したレポート。これは「現代日本のお笑いにおけるシュールとは」というテーマで書きました。これは自分では短い時間ながら、よく書けたと思います。好きなテーマだし。これで自分の好きな事について書く楽しみ(と難しさも)を知りました。
もう一つはもちろん卒論で、それについては卒論日記に書いたのですが、最後の方は授業に行くのが嫌になる程進まなくて、よく樋口くんとかに愚痴を聞いてもらいました。大変でしたが、自信もついた課題でした。
他にもゼミ後に飲みにいったり、樋口くん家行ったり、スポ大出たり、キャンプ行ったり、食べ放題行ったり、樋口くん家行ったり、ゼミ長にコスプレさせてショートコントしたり、ハンモックカフェ行ったり、学園祭出たり、まきちゃんが信じられないほどいじられたり、ちょーなんと私がすぐ水に入りたがったり、何故かイルミネーションを見に行ったり、本っ当に思い出はつきません!!!!!!!

最後の授業で先生に、ゼミ試を返して頂いたのですが「私はこのゼミでお笑い以外の様々な事を知りたい」と書いてました。今思えば、この希望はばっちり叶ってくれました。
私が知らなかった分野も知ることができました。特に卒論のバリエーションがそれを物語っていると思います。
そしてこんなに良くも悪くも個性強すぎて最初「仲良くなれないだろうなー」と思ってた人達とこんなに仲良くなれました。
宮本ゼミは、私の大学生活の中核をなす大事な宝物です。



ま、といってもこれ意外にも学部の友達とか、サークルとか、専門学校とか、バイトとか旅行とか、地元の友達とかいっぱいゼミ以外にも楽しい事いっぱいあったんだけどね!!!!!!!!!

べ、別にみ、宮本ゼミなんてそんな好きじゃないんだから!!!!!!!


…これにて終わります!
長くて面白いブログを読んで頂いてありがとうございました!

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。