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テリー・ギリアム、そして狂気2!

どうも、卒論日記2周目もこれで最後になります、権(グォン)です。
どうぞよろしくお願いします。

 さっそくですが、僕の卒論テーマはテリー・ギリアムの映画から西欧文化史の重要なキーワードとなる狂気の歴史の関連性を考察するという内容です。僕自身が留学生であるということもあり、さらに外国のメディアや関連書籍を探すことや、それを日本語で読むということも正直大変でした。それでも頑張った甲斐があって何とか2週後の締め切りに間に合えばいいなぁ~と思います。

 現在の進行状況といいますと、16世紀の古典主義時代から文学や美術などのメディアを用いて表現されてきた「狂気」というテーマが20世紀に入り、映像という新しい媒体を介して今なお活発に描かれていることを立証しようとしているところです。それは、映画の歴史が始まって間もない1920年、『カリガリ博士』を皮切りとするドイツ表現主義の時代からすでに始まっていたのです。

 スタンリー・キューブリックの『シャイニング』や最近ではダーレン・アロノフスキーの『ブラック・スワン』など、映画の歴史には狂気や錯乱を題材にした作品がたくさんあります。そして評論家やファンの間で高い評価を得ている作品も多いです。理性や合理主義によって社会の外側へと追い出された狂気は、なぜか文学や絵画、映画などのメディアを通じて表現されると喝采を浴びるのです。『ドン・キホーテ』や『モンティ・パイソン』がそうであったように、メディアというフィルターは狂気の本来持つ明るい側面、創造の源としての狂気の必要性を見せてくれるのです。取り分けギリアムの映画は、彼がモンティ・パイソン時代から得た「笑い」という方法論で狂気を描いているという点で独創性が目立ちます。これが、僕が彼に注目し、卒論を通じて言いたいことです。

 普段から映画好きな僕ですが、ここまで一つの作品や監督について勉強したのは初めての経験です。1年間の卒論作業、しんどいと思った時もありますが(今もかなりしんどいですが)、きっと一生の思い出になると思うので、悔いの残らないように最後まで気を抜かず頑張りたいです。

ありがとうございました。
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