スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【第13回】携帯依存

こんばんは!第13回担当の岸本です。
更新が遅れてしまい申し訳ありません、、

「東日本大震災」が起きた3月11日14時46分、私はテストセンターでの試験を終え、まさに目黒駅へ向かおうとしていたところでした。最初は違和感も無視して坂を登っていましたが、周りの人たちの反応や信号・看板の異常な揺れに気付き、立ち止りました。とはいえ大したことはないだろうと思い、そのまま駅へ向かってホームで電車を待ちましたが、余震が続き、駅構内も危険と見なされ、結局外へ出ることになりました。改札階へ上がるとテレビの前には人だかりができていて、画面には物凄い津波の映像が流されていました。そこでようやく私は事の重大さに気付いたのです。

父親が目黒の某役所に勤めていることを思い出した私は、まず父親に携帯で電話をかけました。しかし、回線が込み合っていたこともあり、結局すぐには連絡がつきませんでした(19:00過ぎにメールで連絡がつきましたが、たまたまこの日は休暇だったそうです)。
そこからは1時間弱かけて、まず渋谷へ。その間も家族や、埼玉で一人暮らしをしている祖母に携帯から何度も電話・メールをしましたが、繋がることはありませんでした。

渋谷へ着く頃には足も限界だったため(リクルートスーツではあまりにも寒く、就活用のパンプスで歩くのは靴ずれや痛みで限界でした…)、どうにか帰れる方法はないかと、携帯を駆使してルートを検索しました。今考えれば徒歩2時間強かけて歩いて帰るのが最善だったのでしょうが、午前中に受けた面接の(不出来さによる)ショック、寒さと足の痛みで頭が働かなかった私は、バスを3時間ほど待って漸く帰ることが出来たのでした。とはいえ道もかなり込んでいて、なかなか進まず、結局明大前辺りで降りて歩いて帰ったために、家に着くころには22:00を回っていました。
勿論、バスを待つ間もずーっと携帯で連絡を試みましたが、祖母と連絡がついたのは18:00過ぎ、前述したように父親とは19:00過ぎでした(弟や母親とは結局連絡がつきませんでした)。明大前で降りる頃には携帯の充電がギリギリだったので、途中コンビニで携帯用電池式充電器を購入し、家に着くまで父親とメールをしていました。


私は普段から「携帯依存症だ」と親によく言われますが、この時ほど身を持って実感したことはなかったように思います。誰かに連絡をするのも携帯、帰り道を探すのも携帯、ニュースを見るのも携帯、という風に、この日、片時も携帯を手放せませんでした。携帯を持っているにも拘らず、誰とも連絡のつかなかった3時間は本当に心細かったです。
今回、最終的には携帯電話があることで家族と連絡が取れ、帰り道も検索出来て、その便利さを実感しました。しかし、断片的にしか入ってこない情報や、一度連絡のつかない状況に陥ってしまった時には、人が過剰に不安を感じてしまうことに気付かされました(私だけかもしれませんが)。普段何気なく使っている携帯電話ですが、依存し過ぎは禁物だと改めて実感し、今後の携帯電話との付き合い方について考えさせられました。


ということで予想外に長くなってしまって、そしてまとまりのない文章ですみません、、、
次は土田くんです!(^^)!
スポンサーサイト
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。